オシャレ関係

2004/04/19

教え子が教師に恋心を抱く、こんなシチュエーションはどこにでも存在する。

毎日毎日黒板に向かって授業を教える姿に胸をドキドキさせ、字を書いている時の後姿、教科書を読んでいる真剣な眼差し、この全てに心奪われるそんな甘く甘く切ない恋を少なからずや感じた人というのは存在すると思う。世間からは決して許されることの無い生徒と教師の禁断の愛、なんか聞くからに切ないじゃありませんか。ドラマじゃありませんか。

スーツと制服、なんとも危険な香り漂うシチュエーション。学生同士の恋愛とは違い、手をつなぐはおろか一緒に歩くことすらにも危険が生じるエクスタシー。世間体という恐怖が見え隠れするスリル。それと戦いながら進む男と女のファンタジー。

大人の人に恋をするオシャレな関係は、子供な俺らにはかっこよくてたまんねぇ訳だ。


じつはそんなカッコいい恋愛をヒロさんもしたことはあった。

先生という大人の女性の魅力に魅了され、胸ドキドキさせ先生に会うのが楽しみだった毎日というのがちゃんとあったりする。スーツと制服、こんな感じで危険な香り漂うようなイカす恋愛ではなかったが、不器用ながらも幼い俺は必死に己の恋愛を突き通した淡い淡い青春の思い出があるのだ。

それはちょうど15年前、俺がまだ4歳の頃だった。


俺は4歳の幼稚園児にしてとてつもなく複雑な恋愛事情に絡まれていた。

有り得ない程に出来損ないだった俺、何をやっても人より下手クソだった俺は、毎日怖い怖い斉藤先生に怒られていた。お遊戯の練習がうまくできなくて斉藤先生にお尻ペンペンされたり、自分のお名前がウマく書けなくて斉藤先生に竹の棒でペンペンされたり、逆に俺の尻がお尻ペンペンに耐えれる程頑丈になる位毎日お尻ペンペンされていた。何をやってもウマくいかない・・・そんな自分が悔しくて悔しくてたまんなかった。何故俺は何をやってもウマくいかないのだろうかと自分を責める毎日だった。

そんな俺をいつも励ましてくれたのは、田中先生だった。

田中先生は本当に優しい。給食のパンを残しても怒らなかったし、週に一回支給されるお味噌汁に入っている大嫌いな二十日大根を残しても笑顔で許してくれた。当時の徹底された幼稚園教育の環境下で、給食を残すなんてことは絶対あってはならぬわけで見つけ次第お尻ペンペンは決定と言ってもおかしくなかったのだが、田中先生はいつも笑顔でそれを許してくれた。田中先生はまさに天使のような先生だった。

いつも何をやってもウマくいかない俺に対して優しく接する田中先生の姿を見て、周りの奴は騒ぎたてる。「もしかしたらヒロって田中先生の事好きなんじゃねぇの?」ってモリモリ騒ぎ立ててくれる訳ですよ。幼稚園とはいえどもいちおう団体行動を行っている学園環境、そういった類の恋愛騒ぎを起こしたがるのは相変わらずお好きらしく、みんなオシャレ感覚で俺と田中先生の恋愛騒動を騒ぎ立てた。

だがしかし、俺の本音は田中先生ではなかった。

たしかに田中先生は魅力的だ。どんなに下手クソな似顔絵をクレパスで描いても笑顔で許してくれるし、滑り台を逆から上っても全然怒らなかった。多分15年たった今の俺なら間違いなくベタ惚れしててもおかしくない位に素晴らしい女性だ。けどもな、当時の俺の恋愛対象に入ることは決してなかった。素晴らしい女性だとは思っていたが、好きだとは思わなかった。

どちらかといえば隣のうさぎ組教室の、恵理子先生の方が好きだった。田中先生も捨てがたいが、恵理子先生の太陽のような笑顔は俺の脳みその中央を直撃した。あんな素敵な笑顔をうさぎ組教室の園児どもに見せてると思えば思うほど憎たらしく嫉妬してしまう程に恵理子先生が好きだった。狂おしいほどに。

しかしその間には、俺のいるくま組教室とうさぎ組み教室を区切る大きな壁によって阻まれていた。天にまで届くようなこの切ない想いも、大きな壁によって見事はじき返されていた。こんな複雑な恋愛事情を、俺は4歳でありながら体験していたのだ。

どうあがいても、恵理子先生に逢えない。恵理子先生に逢いたい!!そう想っても目の前にいるのは田中先生。隣の部屋から聞こえる恵理子先生の声を聞きながら、むずがゆい想いで目の前の田中先生を見つめていた。目はしっかり田中先生を捉えていたが、俺の心は隣の教室にいる恵理子先生に釘付けだった。

そんな恵理子先生と、一日に一度だけ逢う方法がある。それは給食。

給食の時、牛乳券を持ちながら牛乳を待つ園児の列に入り込むのだが、俺みたいなどうしようもなく貧弱な男は頑張って列にならんでいてもすぐほかの人に前を取られてしまう。せっかくいい場所まで並んでいたのに、トイレを済ませて後から入ってきたヨウヘイ君にいつも取られていた。彼は俺の大事にしていたファミコン版のマッピーまでも取り上げていておきながら、牛乳の列すらも奪っていく。まさに鬼のような男。

悪いことはいつもヨウヘイ君がしてるのに、いつも怒られるのは俺。お尻ペンペンされるのは俺。そんな不理屈な幼稚園社会に嫌気が差していた。

それを察してくれていたのかは知らないが、恵理子先生はその姿をいつも見つけてくれてヨウヘイ君を怒ってくれる。いつになっても列に入れなくて、泣きそうになっている俺をいつも気遣ってくれたのは恵理子先生。こんなにデキる幼稚園の先生はそこらにはいないと思った。

で、勿論ナイーブな心を持ってる俺ですから、そんなもん告白どころか喋ることすらためらう。

週一回に催されるお遊戯教室とか、年一度に催される運動会なんかよりも一番喋る機会が多かったはずの給食の時間、2年もチャンスがあったにもかかわらず一度も喋ることなく終わった。

通常の幼稚園児なら、つまらないつまらないお遊戯事やらで3年間を非常にアンニュイな気持ちで過ごすところだが、俺にとって幼稚園の最後の2年は間違いなく記憶に残るドキドキな幼稚園生活だった。素敵な幼稚園の先生、「スーツと制服」なんかとは違い薄汚れた感じもせず、読者の方々も非常に美しく受け止めることができるだろう。俺にも間違いなく、今のような薄汚れた汚い皮をかぶっていない綺麗なままのナチュラリストなままの姿をした美しき少年の時代があったのだ。


あっという間にその先生に恋をした2年は過ぎ去り、ついに俺は卒園の日が来た。

先生はその日も笑顔だ。その太陽のような笑顔を、周りにふりまいている。勿論周りは未だに、ヒロ君は田中先生が好きなんだと思い込んでいる。だがしかし、俺の心はいつもその恵理子先生の方向を向いていた。目だけはかろうじて、田中先生を捉えていた。

お名前を呼ばれても相変わらず上手く返事ができず、その出来損ないっぷりがモリモリ溢れたまま卒園証書を貰い、俺は先生の元へ向かった。もちろん、恵理子先生の元へ。

母と恵理子先生は少し雑談めいた話をしている。その下で俺は、卒業証書の入った黒い筒で侍のような素振りをして遊んでいた。

話もけっこう盛り上がり、恵理子先生とおかんの喋り声を盗み耳しなくても聞こえるほどの大音量に変わってきた。その時、俺の耳にチラっと入ってきた言葉が。


「実は私結婚するから、私自身も今年で卒園なんですよ」


なんとまぁ2年間ドキドキしていたのは俺だけでなく、恵理子先生もだったのだ。しかもその矛先は、幼稚園の柵の遥か向こうに向けられていた。なんというか、幼稚園というまだまだ幼い俺にもショックっというのを感じることができた。

ただ、結婚するという部分にそこまで大きなショックはなかった。そこが多分、まだまだ幼い俺の恋愛感情の甘さだったと思う。毎日毎日見えるか見えないかくらいの大きな壁、2年間区切られていた恋愛のパテーション。もしかしたら俺は恋をしていたのではなく、ただ欲しくても手に入らない無いものねだりな人間のメカニズムが、俺をこんな風に変えてたのかもしれない。目の前に田中先生という誰もが羨む素敵な先生がいたにもかかわらず、俺はその隣に目を向けていた。田中先生とはオシャレな恋愛騒ぎが起きていたが、恵理子先生にはどうあがいても目を向けられない。

15年たった今でも、結婚して明石に引っ越していったという恵理子先生の笑顔を覚えている。これだけはやっぱり、どれだけ年を越えても消えることのない、俺の純粋な恋愛感情そのものなのかもしれない。


今の俺にできること、明石でバッタリ対面してしまう可能性も否定できない訳だから、美味いきしめんの店くらいは常に調べておこうと思う。相手はもうすでに俺のことなど100パーセント覚えていないだろうが、JR西明石駅南出口降りてすぐのきしめん屋は美味いという事実が間違いないということだけは、常に頭に入れておこうと思う次第だ。


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