35分

2004/03/18

別れっていうものは突然来るものだと思う。

いつでも人間ってのは別れと隣りあわせで生きていると思う。いつも見ているその顔。そんな顔をいつ見れなくなるかなんて誰にもわからない、別れはいつでも刻一刻と迫っている。けども、そんなの気にして生きている人間なんていない。いつでもその人といる時間を楽しみ、その人と助け合い時間ってのを共有する。で、いきなり別れは訪れる。別れあってこそ出会いがあるとは言われるけど、この別れる瞬間っていつきても辛いものだと俺は今日実感した。そんな話を今日は語ろうと思う。

バス乗り場にバスが到着した。中に乗り込み椅子に座る。ドアは閉まり、すぐに出発するバス。俺は一番後ろの一番左の窓側席で外を眺めてたんです。

丁度一年と三ヶ月前、俺はフリーターを決意した俺は自転車を買う事にしたんですよ。交通費だって浮くし、深夜のアルバイトから早朝のアルバイトなど電車の無い時間でも出勤できる、しかも歩道を走る事ができるという色々なメリットを持っている自転車。それが欲しくて欲しくてたまらなかった。

もちろんそんなもんお金なんてどこにもない。高校生上がりたての俺に貯金だってあるわけがない。だから俺は最初の一ヶ月、とりあえず毎日毎日昼飯をおにぎりにしたりなどして必死に金ためたんですよ。で、めでたく初任給の3万円で自転車購入。嬉しそうにチェーンを2つくらい買って、新しい時なんかは外にいる野党なんかに自分の自転車が襲われないように家の中で保存とかしてたりなんかもしたり。マジで嬉しかった。

が、そんな自転車は一年と三ヶ月後の今、皮肉にも購入したダイエー前の駐車場で行方をくらました。ほんとうに呆気なかった。

購入したその日から一度たりとも乗らなかった日は無い。毎日毎日仕事の無い日でも何かとアウトドアだった俺は自転車に乗りまくった。そういった具合でかなり愛着のあった自転車が、突然数時間の間で姿をくらました。最初無くなったって理解するのが嫌だった俺は、一時間もの間鍵を握りながらずっと自転車乗り場を探し回った。永遠と、

あきらかに自転車は無い。ってわかっていたけどそれが嫌だ。全部の自転車が自分の自転車のように見えて仕方なかった。けどやはりそれは違う自転車だ。ようやく諦めがついた時、バスで家に帰ることを決意したんですよ。

バスの窓から見える自転車乗り場。見つかるはずも無いのに、目は必死に自転車を追っていた。しまいにはまったく別の場所にある自転車乗り場でも自転車を目が追っている。そこらの電信柱につながれている自転車、それすらも俺の自転車なんじゃないかと錯覚して目が必死にその自転車を追っている。

しばらくしてバスは曲がり、いつも自転車で通る道筋に入った。

こう、なんか色々な思い出がフラッシュバックしてくる。毎日のように通り続けたその道を俺と自転車が駆け抜けるその思い出が頭をよぎって仕方が無い。まるで彼女と別れたときかのようにですね、自転車と共にした場所が寂しく見えて仕方が無いっといった次第ですよ。

今思えば本当に色々あった。

去年の9月10月位。HPの更新はおろか、自分の時間ですらいっさいなかったあの時期。毎日毎日休み無く働き続け、仕事に殺されそうになっていた。睡眠時間も3時間という学生の時には想像すらできなかったその生活にけっこう苦しんでたんですよ。

毎日毎日仕事に時間にプレッシャーを与えられ続けた俺。そんな俺を唯一解放してくれるのは自転車に乗っている時間。仕事先から仕事先に移動しているそのわずかな時間だけでも、俺は自由になれたんです。どんなものにも強制されず、自分の思いのままに動ける。ペダルをこげば前に進み、坂道にさしかかれば加速度を増す。平凡で普通すぎるそれだったけど、俺には幸せな時間だった。

ある日は後ろに重たい先輩なんかを乗せながら走った。交通費もったいないから後ろにのせろだのめちゃくちゃいいまくる先輩。後ろに乗る前にオマエその体重なんとかしろよとキレそうにもなった訳ですよ。

しかしマジで重いこの先輩。坂道もあってなんとか加速してくれたのは良かったが、軽い段差でもドスンドスンって悲鳴をあげるんですよ。助けてくれ、車輪が曲がってしまう!って凄い悲鳴がきこえるんですよ。けどもまぁお構い無しに後ろにしがみつく先輩。自転車よりも俺のほうが不安で不安で。

でな、目的地に近づくにつれだんだん人ごみ多くなっていくんですよ。それなのに全くどく様子のない先輩。何度も何度も車やら人にぶつかりそうになって冷や冷やしてたんですけどね、それでもまぁ何とか到着。

鍵をかけて木にチェーンをつなぐ。あれだけの負荷によく耐えれたと我ながら自転車に関心してしまった。安物で全身ほぼアルミで軽々と持ち上がってしまうような小柄な自転車。それでも力持ちなんだなと嬉しくなれたこともあったんです。

去年のまだミス○ードーナツでアルバイトしていた時期、仲の良かった社員の人とパソコンの部品を買いに行こうと約束した時。電車でいくには大げさすぎてなおかつ歩くには遠いソフマップへ2人自転車で行った。

道路とか無駄に走って細い道とかもスイスイくくりぬけ、あっという間に到着。

ある日は職場の人たちにショボイ自転車とバカにされた。

籠が壊れて取れた時は道行く人に指指されて笑われながら走った。

自転車がパンクした時も2時間かけて家まで押して帰った。

それでも俺は自転車をまるで恋人のように可愛がった。フリーターをしている間は絶対に彼女を作らないでおこうと心にきめた俺の擬似恋人的な役割を、この自転車はしてくれた。もはや空気の様な存在だった。

・・・バスはいよいよ家の前のバス停に近づいていた。

スピードを増して走るバス。その周りの景色は、あの日自転車に乗り続けた景色と同じで、すごくダブってくる。自転車の上で、風を感じながらかけぬけた坂道。息を切らせてペダルを必死にこいでスピードを増していったこの道を、バスから見える景色にダブらせていた。

バスは徐々に減速してゆき、バス停に到着。軽く頭を下げて外に出る。バスと自転車ではほとんど変わらないはずの移動時間なのに、なんか凄く時間がかかったかのように感じたんですよ。

酒を飲んでフラフラになりながら自転車に乗って、思いっきり吹っ飛んだ日も俺ではなく自転車が曲がった。加速しすぎて道路に飛び出して車に跳ねられたあの日も、俺は軽症ですんだが自転車は原型をとどめて無いレベルで曲がっていた。今までに3回の事故にあったが俺ではなく自転車が曲がり、いつもかばわれ続けてた。その都度新しいのを買うのではなく、修理して使い続けた。今では購入価格よりも修理費の方が高くなってしまったといった具合の俺の自転車。

エンゼルクリームを食べながら自転車に乗ったせいでハンドルがベタベタになった日もあった。あまりにもライトを使わないのでライトが壊れた日もあった。思いっきり階段に突っ込んで車輪がパンクしたりだとか、何故か段差のショックに耐えられず呼び鈴が吹っ飛んだりもした。

それでも現役で走り続け、俺の生活に支障を与えることなく行き続けた自転車。いちどたりとも仕事に影響を与えた事はなかった。

休みの日には一緒に海にいったりだとか、コンビニにいったりだとかもした。一年と三ヶ月。この時間は間違いなく長い物だった。その時間を、俺の片腕としていつでもいつでも支え続け、有意義な生活を与えてくれた

そんな自転車はもういない。恐らくもう戻ってくる事は無いだろう。そろそろ籠の修理にも出したかった。空気だって入れたかった。椅子の高さだっていじりたかった。悔やんでも悔やみきれない事がいろいろ頭をめぐる。

誰に盗まれたのかはわからないが、大切につかってくれていることを願って止まない。こうして日記書いてる今も元気にやってくれてると信じて止まない。

ただただ、一言いえるのなら言いたい。この一年と三ヶ月の間、この短くも長い間、俺を支えてくれて、本当に本当に・・・



ありがとう。

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