ある日の思い出
2003/02/01
俺はミステァードーナッツでアルバイトしてまず。勿論俺の誇りですこの仕事場は。
ミステァードーナッツには色々なお客さんが来る。女子校生のグループ。営業サボってるサラリーマン。子供連れの奥さん。ケチケチしてそうな関西風味のおばさん。本当に色んな人が来る。
今日はそんな中でも「子供連れの奥さん」に注目してみる。
毎週木曜日。いつも同じような時間に、決まってその親子は来る。5〜6歳くらいの少年と25〜6歳の母親。幼稚園が早く終わるのか、毎週その木曜日に来て「ピングーオモチャセット」を注文する。
見てるほうまで癒されそうな、アロマー雰囲気漂う暖かい親子。きっとこの親子からもマイナスイオンが出てるに違いない。母親は幼稚園くらいの子供を凄く可愛がっている。もうそんな感じがすごいでてるほのぼのとした親子なんですよ。
鼻水たらしながらビービー泣いてるそこらのガキと違って、母の言うことを素直に聞き、ドーナツを選ぶ時もバタバタそこら辺をはしゃぎまわらず落ち着いて「コレが欲しい」って言う頭のいいガキ。「お母さん」って言い方にもなんかすごい母を愛してるぜって感じがブリブリっと伝わってくる微笑ましい親子。
幸せそうだな。見てる方まで幸せだ。
ある日、いつもの木曜日のこの時間。いつものようにもちろんあの親子は来るものだと信じていた。しかしいつになっても来ない。だいたい4〜5時くらいを狙ってやってくるのだが、何故か知らない。その親子はやってこないんです。正直あの親子には癒されてたからちょっとショックだったんです俺も。
あそこまでマイナスイオンを出している癒し親子はそそうにいない。休憩時間に入って俺はその親子を思い出したとき、ふと幼き時代の俺を思い出したんです。ちょっとだけ語ってみようと思う。
時は丁度小学校2〜3年だっただろうか。ゲームボーイがちょっと有名になり始めたくらいの時代。
俺は母の田舎である奄美の島々に帰ってたんです。バァちゃんはあいかわらずいつも通りの笑顔と美味しい手料理を振舞ってくれました。平井賢の「RING」のプロモーションビデオみたいなすげーど田舎のほのぼのした老人夫婦。
まぁさすがにど田舎っぽく寿司とかは食って無いんですけど、野良ニワトリみたいなのが歩いてる次点でそこそこ田舎感は伝わるかもしれない。野良猫と野良犬と野良ニワトリが歩くステキな島に俺は来ていたんです。
親戚回りか友達回りかはよく覚えて無いんですけど、俺と俺の家族(っと言っても父はいなかった)はある一戸建ての家にやってきました。
いや今思えば友達回りだったかな。友達だったとして、俺の母はその人に会うために長い田舎の道なんかを安いタクシーなんかに俺を乗せて友達のうちへゴトゴトと山超え谷超えはるばるやってきたんです。
一戸建て?いやそんなもんじゃねぇ。ど田舎過ぎてどこから何処までが敷地なんかわかりやしねぇ。ど田舎らしい立派な豪邸が立ってたんです。神社みたいなノリだったねそれは。
母は家に入る前にトイレに行くんだと、門の横にあったトイレに入ったんです。勿論ボットン便所ですよ。
それがまた中国式のトイレで、扉がほとんど無いに等しいんです。マクドのレジの横に店員さんが出入りする為の腰くらいの高さまでしかないドアあるでしょ?そうまさにアレがついてたんですよトイレに。
当時の俺は背が低いから、そんな高さの扉でも上から母を見ることはできないんですよ。でもこの形式のドアって、下もオープンなんですよ。しゃがんだらリアルに丸見え。
見たことの無いその場所に脅えた俺は母が目の前にいないと不安。だからずっとしゃがんでみてたんですよ。母のウンコを。ムリムリっと出てくる母のウンコしか俺には母がいるという保障がなくって。
ずっと直視。なかなか柔らかいなぁって思いながら。もちろんケツとかがみれるとかないですよ。マジでウンコしかみえないんです。そのすきまからわウンコだけが。この中に母がいるって確信できるのはこのウンコだけだったんですよ。
しばらくしてウンコが終了した母は、ドアの上から覗く。「ヒロあんたずっとそこから覗いてたの」
黙って首を振る俺。
しかし子供のいうことは100%信じる母は、何も言わずそのまま手を持って門の中に入った。本当にこのときは何もなかったとしよう。
家の中に入ると、中から出てきたのは父と2人の息子。年の近い兄弟。たしか兄の方は俺と同じ年だったことを覚えている。
普通ここは妻がでるだろ。なんで父が出てくるんだ!もしかしてオメェ奥さんに尻にでもしかれたのか?当時の俺にはそんなこと考え付かなかったが、ただ一つこれだけは確実に理解できた。
線香が立てられてる棚、その中には写真が飾られている。
当時の俺は死ということを理解していた。けっこう動物を飼っているアニマルなハウスに住んでる俺だから死を何度か見てきてる。死ぬということはもう一生その人の笑顔を見れないことだということを何故か俺は理解していた。
一度ひいじいちゃんが死んだ時最初は何が起きたのかはわからなかったが、父は俺に骨を見せた。目の前で焼かれて出てきたその人の骨を見た時俺はきっちりそれがわかった。死ぬって何なのか。
線香の立てられている棚、その中に飾られている人は死んだ。その棚に飾られている人は、若い女性だった。その女性は、本当に幸せそうに微笑んでいた。これ以上無い笑みで。
多分ここまでインパクトがあったからこそ今でも憶えているんだと思う。
母が死ぬなんて俺にはありえなかった。ウンコ直視してまで母の存在に甘える俺にとって母がいなくなるなんてありえない。
亡くなってまだ時は少なかったらしく、その家庭はまだ寂しそうな感じが家中に広がっていた。多分当時の俺はまだ無垢で純粋だったから今よりもよく空気というやつを見ることができたんだと思う。その家には確実に一人分の、寂しさが漂っていた。
しばらく母とその家の父親は話をしていた。もうこれは定番。母は話ばっかりして俺のことなんか相手にしてくれない。俺を見ろよクソババァ
すねた俺は一人で遊んでました。そしたらその家に住んでた兄弟2人がでてきた俺を物珍しそうに見てきた。もう久しぶりに見た友達みたいに。
そのとき丁度夏休みだったんですよ。だから世間の小学生はゲームに忙しいわけ。だからこの家のこの兄弟も当然兄弟だけで遊び友達であそぶのはそそうにない。っていうより葬式なんかで忙しかったのだろう。普通に。
俺とうちとけるのは1分いらなかったですね。めちゃめちゃ仲良しもはや血の繋がった兄弟なんですといわんばかりに3人でウンコの話題で盛り上がってました。もちろん母はマキグソだった話を。かなり真剣に
母は今からまだ回る家があるからすぐにここを発つといい始めました。しかし兄弟以上アナル未満な関係の俺たちに今頃家を発つなんてありえなかった。嫌がる俺を見た母は、父に少しの間だけ俺をうちに置いてくれるように交渉してくれたんです。夕方までと約束で。
ずっと遊んでました。虫を見たり、スーファミやったり、牛を見たり。そのなかで一番燃えたのはゲームボーイ。
当時ゲームボーイのといえばテトリスとマリオしかないくらいの時代。ポケモンとかそんな洒落たゲーム出てなかったので、すごい珍しい。流行るには流行ってたんですが、今ほどメジャーではなかった。
しかし俺は持ってたんですよ。知ってる読者はいると思うんですが、小学校一年の時入院してた時に父が俺にゲームボーイを買ってくれてるんです。最先端を走ってる俺にちょっと感動。
そりゃ当時は恵まれていた。バブル全盛期。自営業の親父は月に何百万も使い込んで遊んでいた。同じ服を着ているときなんか見たこと無い。ガツガツ儲けてガツガツ金を使っていた。だからゲームボーイなんて安いものだった。
当時の狭い画面に向かって3人が顔を近づけてがんばるんです。光が無いからみえねぇぇぇ!とかいいながら一つの画面に闘志を燃やしていた。
この時使っていたゲームボーイは俺のではなく彼ら兄弟の物だったんだが、俺もうちに帰ったらいつでもゲームボーイができる故に彼らとゲームボーイのソフトの貸し借りだってできたんです。
ちなみにこのときやってたゲームは「星のカービー」当時は「星のカービーデラックス」なんてなかったんですよ。なんせ旧式ゲームボーイの時代ですから。
昼になって父は俺たち兄弟に昼飯を作った。昼飯はエビフライだった。
「ワーイいっただっきますぅ!」目を輝かせながらみんなはエビフライにかじりついた。・・・その時だった。
・こ・・・・これ・・・・・・生だ。
もう衣なんかは綺麗にいい色に上がってるのに中身はカッチンコッチンでまだ凍ってるんです。冷凍食品丸出しで。食品としてそれは明らかに欠陥だった。食えるものではない。
勿論エビの半生といえばゲロの味で有名。そんなもんゲロ吐きそう。
みんな全員で「これ生」って父に訴えました。まだ料理に慣れない父はそのエビフライをゴミ箱に捨てた。悔しいだろうな、妻がいなくなってまともな料理も作れない自分にさぞ腹をたてたと思う。
結局最後までエビフライは出てこなかった。
白いご飯を残さず頬張ると、俺たちは再びゲームボーイにむかった。
のちにこのエビフライは俺が一生忘れない味となった。このあともエピソードがあるんだけど、長いからまた違う日に書きます。
今思えば、あれが本当の料理だったんだと思う。マジで。男の料理とはアレのことを言うんだ。
楽しいなぁ・・・楽しいなぁ・・・なんて思って星のカービーをしてたら一瞬で夕方。母が帰ってきて、そろそろ行くんじゃこのバカ息子といわんばかりのものすごい顔してたってるわけ。仁王立ちですよ仁王立ち。
寂しくなりながら仕方なく帰る支度する。寂しい顔をしんがら門を出ようとした時、俺の兄弟たちは走ってきた。
「これ、貸してやる。いつか絶対ぇ返せよ。」
お互いわかっていた。もう会うことは無いと。しかし彼らは当時流行っていた星のカービーを俺に渡した。自分たちも全クリしていないゲームを俺にわたしたんですよ。たった一日ですよ。たった一日だけの兄弟に。
子供の純粋な気持ちってやつを今感じました。本当に彼らは純粋だった。
俺は男兄弟が欲しくってたまらなかった。家には父がほとんどいないので、妹2人と母というまさに女の中の環境で生活している。だからこそ男同士の兄弟愛とかブラザードットとかに憧れてたまらない。何度も弟がほしいと母に訴えた。
しかしこれいじょうエロをしたくなかったのか、計画なのか。コウノトリも疲れたのか。もうこれ以上は作らないと母は断固として反対。
今日俺は兄弟ができた。たとえ一日だけでも、自分の大切な物をやれるその純粋な心はまさしく兄弟。
もちろん俺は何度もクリアしてやりましたよ。全クリしまくりましたよ。任天堂スマッシュブラザーズでもカービー使ってましたよ。もうカービーは俺にあたえられた最初で最後の兄弟なんですから。
そうカービーは俺の兄弟。
・・・話はずれたが、今思い出せば、母がなくなって家族が一ついなくなった家庭にあの兄弟はきっとさみしかったんだと思う。父もその兄弟たちも俺に素晴らしい笑顔をみせてくれた。でも母がいた時は、もっと素晴らしい笑顔だったんだろうな。
母がいないのは不幸じゃないって言う人もいるかもしれない。けど俺はまだ母が亡くなってまもないこの家庭には、そういった寂しさが幼い俺には感じられた。表面では笑顔だったけど。
今はもうすっかり幸せな笑顔を見せているんだろうなって思いながら俺は時計を見た。おい!!休憩時間過ぎてるじゃねぇか!
ちょっとこれはチビリかけたね。怒られるって先輩に。物凄い勢いで手洗ってアルコール消毒してレジ(サービスエリア)に向かう。しかもした降りて気がついたけど俺全然大丈夫だった。どこに目つけてるんだ俺は。全然時間平気やん・・・結局その親子は最後まで姿を見せることはなかった。
一週間して木曜日、何があったのかまったくわからないがその親子は普通にやってきた。普通に「ピングーオモチャセット」を買って行った。
なんかバカみたいだけど、この家族の愛を見てたら全く関係無いのにあの兄弟のことを思い出してしまう。
そしてあの、母の巻きグソも思い出す。
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